理加は走った。後ろも見ずにひたすら走った。
さっき転んだときにできた膝の擦り傷が、動かすたびに激しく痛む。生暖かい血が足を伝っているのがわかった。
しかしそんな事はどうでもよかった。逃げなければ。助けを呼んでこなければ。
きつく緊縛された上半身を激しく揺すりながら、夕暮れの波止場をひたすら走っていた。
親友の早苗と学校からの帰宅途中あんなものを見なければ、こんなことにはならなかったのに。
自分も、早苗も、あの男と同じ末路をたどることになるだろう。それは絶対に願い下げだった。
波止場には人影が驚くほどいなかった。
おそらく閉鎖されている所なのだろう、だとすれば助けを呼ぶのはほとんど絶望的であった。大通りまで、何とか出れれば。
しかし、理加は波止場の風景を見慣れているわけではない。同じような景色が続くこんな場所では迷ってもなんら不思議は無かった。
走る歩を緩め、息をつく。
「はうっ、はっ、はっ、はっ」
全身が鼓動している。耳元で心臓が波打つ。口の中でじんわり鉄の味が広がった。
休むわけにはいかない、やつらが私を追ってきている。
とうに体力は限界に来ていた。軽く立ち止まったせいで脚が激しく痙攣する。
「だ、め、!」
力なく呟き、前進に鞭打つように再び走り始める。緊縛された胸が痛い。腕を後ろに回されて縛られているため、体のバランスも上手く取れない状態だった。ふき取る手が無いため、汗が目に入り視界がぼやける。
とたん、脚が空転した。足首が鈍い音を立てて不自然に曲がる。
しまった!
体を支えることもできず、そのまま頭から倒れこんだ。硬いコンクリの地面にしたたか頭を打ち付ける。
世界が暗転して、さっき見た光景がフラッシュバックした。
最初目に入ったのは多量の赤だった。血の赤。それにまみれて倒れた男は、明らかに絶命していた。
数人の男が、死体を囲んでいる。その手には鈍い光を放つ刃。理加の足元で、空き缶の転がる音がする。
男たちが振り返る。目が合った、そう思ったときには男たちは目の前まで来ていた。
全身が痙攣している。多量の汗が制服のブラウスに染み込んでいく。
このまま横たえたまま休めれば、どんなに楽か。しかしそれはできない。
頭の激痛に歯を食いしばり耐えながら上半身を何とか起こした。
さ、立って!立ち上がって走るのよ!
しかし脚は激しく痙攣するだけで、動いてくれなかった。力すら入らない。こめかみから血交じりの汗が伝い落ちる。
そのとき、自分が腰を落としている地面に長い影が映った。1つ、2つ、3つ…。
顔を上げると、男たちに囲まれていた。
「ようやく見つけたよ、迷子の子猫ちゃん」
理加は男たちを睨みすえる。上半身を上げているだけでもきついこの状態では、それが今の理加にできる精一杯の唯一の。
そして最後の抵抗だった。